お米の基礎「歴史」編

お米の基礎「歴史」編

おこめの歴史を学ぶ

日本人の主食であるお米。
お米はいつから栽培されていたのか?どこから伝わったのか?いつから今のお米が作られたのか?いまさら聞けないお米の基礎知識「歴史」編をお届けします。

 

お米栽培の歴史

米の栽培は、約1万5千年前にアジアの東南部地域(インドのアッサム地方、中国南部雲南省からタイ、ミャンマー)で始まったと考えられており、日本のお米栽培は、縄文時代に始まり、弥生時代中期には北海道を除く日本列島各地で栽培されるようになりました。

 

明治維新までは赤米が主流

日本で栽培されてきたお米は、現在のようなお米ではありません。明治維新まで「赤米(糠色が赤いお米)」を栽培していました。 赤米は邪馬台国や大和朝廷への献上米として栽培されてきたと文献にも残っています。 明治時代までは全国で栽培されてきましたが、明治時代に「赤米は雑草だ!」と政府が言ったらしく栽培量は激減しました。 現在では神事用のお米として九州の一部では栽培されて続けていますが、現在の赤米は、人が手を加えた品種改良をされた赤米がほとんどで、原種と呼ばれるお米はお目にかかれません。

 

玄米から白米になった歴史

江戸時代まで日本人の主食は「玄米」でした。現在のようにお肉や野菜などの副菜が少なく、正しく主食がお米(玄米)だったのです。 当時の玄米食(炊飯)は、薪(まき)で玄米を炊いていました。 玄米を炊飯するためには、たくさんの薪が必要でした。 地方に住む人は薪を自給出来ましたが、都市部に住む人は薪を購入しないといけなかった為、玄米よりも薪が少なく・ふっくら炊ける白米を好むようになりました。 こうして、江戸を中心とした都市部で白米を食べるようになったのです。

 

白米を主食にして流行した脚気

しかし、バランスが良くない極端な白米食により、脚気が都市部で流行しました。これは玄米に含まれる栄養価を摂取しなくなったのが主な要因と記されています。その後、脚気の流行は、白米の広がりと共に拡大し、昭和初期まで続いていたといわれています。その後、昭和初期から20年にかけて、玄米食が見直され昭和20年には国によって玄米食を推進する「食生活指針」が出されました。「マクロビ」に代表される玄米食のススメは、昭和初期及び中期から現代風に受け継がれた食生活の提案である。